2009年12月31日木曜日

もっとスケールの小さい国へ

坂本龍一が雑誌のインタビューで言っていたのだろうか。

地球温暖化の原因が二酸化炭素であるにしろないにしろ人類は二酸化炭素や汚染廃棄物が出る産業をやめるべきである、と。

この通りに行っていなかっただろうが内容は間違い。

ボクはこれを読んで、「センスがある」、そう感じた。

ボクは田んぼに囲まれた田舎者だ。

だから、たとえ地方都市でも市内中心部に行くと人ごみの多さに圧倒され、生理的に嫌悪してしまう。

大量生産する工場にも吐き気がする。

ボクの生活というのは明らかに現代のものであるが、規模はたいして先祖と変わりはしないだろうと思っている。

人間の本質がそう何百年で変わるはずがない。

ボクがパソコンを使い、ケータイを使い、電車に乗り、飛行機で海外に数時間で行ったとしても、その感覚というのは、いたって一般的で穏やかなものに留まり、江戸時代の先祖の感覚の規模とそう変わりはしないであろう。

ややこしくなってしまった。

つまり、江戸時代の先祖が滅多に行けない隣町へ出かけることが叶ったことと、ボクが東京へ遊びに行けるようになったことは常識的に考えても同じスケールの感覚で測ることができ大した驚きはない。

人間の暮らしと言うのは慣れが常に伴う。

慣れないのはむしろ技術力が急激に膨らむように進歩していったことである。 

技術力はまるで落ち着くことがないように走り続けている。

人間は必ず落ち着くようになるものだが、技術力はそうではない。

ただ、走り続けている。

それをたまに感じると驚き、圧倒され、気持ちが悪くなるのだ。

誰も永遠に肥大化していくものを見たことはない。

技術力だっていつかはストップが来るはずだ。

もしくは破滅が。

ボクは技術力を人の発明だとは思っていない。

人が発明し、人の力になりえたとは決して思えない。

あれはどこかにあったのだ。

化石は人が作るのではなく、地中から掘り出すものだ。

技術力も化石と同じように、どこかにあるものなのである。

ボクはその眠れる獅子のような技術力が恐ろしくてたまらない。

アインシュタインは原爆の製作に手を貸してしまったことを戦後悔いていたというが、ボクは、きっとアインシュタインは発明家としてではなく、発掘者として悔いていたのだと思う。

あれは人が持つべきものではなかった、そう思ったのではないか。

技術力の進歩は一般的に善だ。

人口の増加も善だ。

少子化だからではなく、人が生まれるという意味で善だ。

しかし、日本は少々膨らみすぎたのではないだろうか。

日本の平地は少ない。

もともと、島国の上山脈が通っており、山と海の間も狭い。

そんな国に1億数千万人の人口は多すぎではないだろうか。

もうちょっと少ない方がもしかしたら便利なのではないだろか。

人ごみ嫌いを当てつけに言っているのではない。

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