言葉にはやはり慎重であるべきだ。
言葉は自己表現の手段でありながら使いづらい手段であるからだ。
特に日本語は、ボクが日本人だからかもしれないが、難しい。
漢字や仮名、カタカナといった文字がまず多い。
そして、敬語や流行語のように表現も多様である。
日本語自体はフットワークが軽く優れた言語であるが、使いづらく、われわれにとっては母国語と言っても難易度が高い。
だから、日本人同士でも会話による勘違いが起きたり、難しい表現が伝わりにくかったりということがある。
これは世界中であるだろうが。
よって、言葉とは他人と自分を結びつける手段であるが故に慎重にならなければならないことは確かだ。
他人の価値も自分の価値も交わす言葉によっても決まるのだから。
むかしから「賢者は聞き、愚者は語る」というが、やはり無意味かつ無造作なおしゃべりは危険である。
それは会話中に出てくる名詞にも当てはまる。
たとえば、つい先週買ったばかりの高い外車の自慢ばかり口から出てくれば、「この人は自慢好きだ」、「高収入だな」、「車好きだな」などと様々な情報を伝えることとなる。
それは足元をすくわれることにもなる。
だから、その点に気をつけるべきだ。
自分の価値を守り、高めていくためには考えて喋らなければならないのだ。
どのような情報を与え、得るか。
また、自分をどう思わせるか。
そこで間違えばイメージが変わり価値も崩れる。
言葉とはそれほど危険で、かつ高価なのだ。
以上!
2008年9月26日金曜日
思想史の逸脱
思想史において先人の軌跡をたどることはきわめて重要だが、歴史という流れを通して見れば、「なぜ、そのように考えたか」という思考の根本原理が拾える。
細かく見ること、ポイントとして見ることと全体として、流れとして見ることの両方を使うことが正解を導き出せるだろう。
偏見は常に付きまとう。
我々に必要とされるのは、偏見を逸脱することで、そこでは否定、もしくはジャック・デリダの脱構築を意味している。
それはニヒリズムでもあり、偏見を逸脱することもひとつと数えられる。
逸脱という言葉をそういう意味合いもあり選んだ。
偏見の逸脱とはさまざまな見方であり、見方を提供する時代はもう終わった、というかかなりの数の方法、見方、思考がある。
それらを整理することで改めてわかる知識や学問があるのではないか。
また、整理することで先人の哲学を総合するようなカント的な哲学の潮流が生まれるのではないかと考える。
総合といったが、そのような役割はこれほど知識と情報、つまり知が溢れる時代において必要にもかかわらず、その役目を負う存在が少ないことは嘆かわしい。
無論、GOOGLEはネット世界の検索において革新的ではあったが、整理という面では中心にはいない。
一見、情報の整理を目的としているかに見え、粗雑な情報や偽りの情報を貯め込んでいるという面もある。
それがネット世界の問題点ではある。
しかし、それがネットの存在意義でもあることは間違いではない。
どのような者であろうとネットはヴァーチャルで、自由であることが伺える。
それが犯罪と結びつこうしても我々は拘束されない、犯罪チックな世界をどこかに持っていたいのであろう。
情報の宝庫(質を問わず)であることは間違いない。
足りないのは、整理の役割、かつ、総合的であることである。
正しい情報を管理する役割は情報化社会であるが故に必要不可欠。
アレクサンドリア図書館をネットの世界でもメジャーにつくるべきだろう。
学問の専門化することで学問全体を渡り歩くことは不可能と言われる時代になった。
しかし、困難であるとしても情報に莫大な価値が伴う時代に整理することで新たなる知を発掘できるのではないか。
インターネットは情報の海、そこに検索をGOOGLEはじめ様々な検索サイトに、そして、それらの情報を束ね整理し総合化するサイトがあってはじめて我々は正しい情報化社会を迎えられるのではないか。
また、これはヴァーチャルなネット世界に対して書いてきたが、無論、現実世界にも当てはまる。
図書館が情報の溜まり場と化さないように積極的な情報の整理、総合化を主とした活動が行われるようにしてもらいたい。
常に正しい情報に価値がある、その鑑定ははたして今、何が行えるというのか。
以上!
細かく見ること、ポイントとして見ることと全体として、流れとして見ることの両方を使うことが正解を導き出せるだろう。
偏見は常に付きまとう。
我々に必要とされるのは、偏見を逸脱することで、そこでは否定、もしくはジャック・デリダの脱構築を意味している。
それはニヒリズムでもあり、偏見を逸脱することもひとつと数えられる。
逸脱という言葉をそういう意味合いもあり選んだ。
偏見の逸脱とはさまざまな見方であり、見方を提供する時代はもう終わった、というかかなりの数の方法、見方、思考がある。
それらを整理することで改めてわかる知識や学問があるのではないか。
また、整理することで先人の哲学を総合するようなカント的な哲学の潮流が生まれるのではないかと考える。
総合といったが、そのような役割はこれほど知識と情報、つまり知が溢れる時代において必要にもかかわらず、その役目を負う存在が少ないことは嘆かわしい。
無論、GOOGLEはネット世界の検索において革新的ではあったが、整理という面では中心にはいない。
一見、情報の整理を目的としているかに見え、粗雑な情報や偽りの情報を貯め込んでいるという面もある。
それがネット世界の問題点ではある。
しかし、それがネットの存在意義でもあることは間違いではない。
どのような者であろうとネットはヴァーチャルで、自由であることが伺える。
それが犯罪と結びつこうしても我々は拘束されない、犯罪チックな世界をどこかに持っていたいのであろう。
情報の宝庫(質を問わず)であることは間違いない。
足りないのは、整理の役割、かつ、総合的であることである。
正しい情報を管理する役割は情報化社会であるが故に必要不可欠。
アレクサンドリア図書館をネットの世界でもメジャーにつくるべきだろう。
学問の専門化することで学問全体を渡り歩くことは不可能と言われる時代になった。
しかし、困難であるとしても情報に莫大な価値が伴う時代に整理することで新たなる知を発掘できるのではないか。
インターネットは情報の海、そこに検索をGOOGLEはじめ様々な検索サイトに、そして、それらの情報を束ね整理し総合化するサイトがあってはじめて我々は正しい情報化社会を迎えられるのではないか。
また、これはヴァーチャルなネット世界に対して書いてきたが、無論、現実世界にも当てはまる。
図書館が情報の溜まり場と化さないように積極的な情報の整理、総合化を主とした活動が行われるようにしてもらいたい。
常に正しい情報に価値がある、その鑑定ははたして今、何が行えるというのか。
以上!
2008年9月25日木曜日
2008年9月23日火曜日
ベストセラーの価値なんて・・・
ベストセラーとは理解されやすい本のことだ。
文章が軽く、わかりやすく簡単だから、読者の年齢層は広く多く売れる。
そんなものを買いに行こうとは思わない。
思いたくない。
自分の価値を低くすることになるから。
そこをベストセラーばかりを読んでいる人はそう思うのだろう。
と言っても、前までボクもしょっちゅう読んでいた。
書店で「何万部突破!」とかあると吸い寄せられていった。
しかし、そんな売るための本。
読破に1週間もかからない。
薄かったね、本の厚さも、内容も。
そこから過ちに気付いた。
ベストセラーという数で騙され、その上、読んで感動する日本人は嘆かわしい。
本を読んでいない証拠ではないか。
思想に触れていないからだ。
「読む」ことに慣れていないからだ。
見えないものを解読することを「読む」ことだ。
文字は見える。
しかし、考えないと見えない本がある。
そこが一番、必要なのだろう。
考えなくとも見えるベストセラーを疑おう。
以上!
文章が軽く、わかりやすく簡単だから、読者の年齢層は広く多く売れる。
そんなものを買いに行こうとは思わない。
思いたくない。
自分の価値を低くすることになるから。
そこをベストセラーばかりを読んでいる人はそう思うのだろう。
と言っても、前までボクもしょっちゅう読んでいた。
書店で「何万部突破!」とかあると吸い寄せられていった。
しかし、そんな売るための本。
読破に1週間もかからない。
薄かったね、本の厚さも、内容も。
そこから過ちに気付いた。
ベストセラーという数で騙され、その上、読んで感動する日本人は嘆かわしい。
本を読んでいない証拠ではないか。
思想に触れていないからだ。
「読む」ことに慣れていないからだ。
見えないものを解読することを「読む」ことだ。
文字は見える。
しかし、考えないと見えない本がある。
そこが一番、必要なのだろう。
考えなくとも見えるベストセラーを疑おう。
以上!
2008年9月21日日曜日
2008年9月14日日曜日
アダルトゲームに視る性差
全部が全部ではないだろうが、BLゲーとエロゲーの違いは視点の違いと考える。
エロゲーは女性と主人公がセックスするが、「主人公=ゲーマー」であり、視点も主人公視点である。
だから、つい見入ってしまう。
かわいい少女が自分としている気分になる。
それが売りだろうが。
BLゲーはむしろ「覗き」だ。
男性と男性が絡み合っている場面を「見ている」のである。
自分としている気分はまず、ないだろう。
そこがエロゲーに象徴される男子、BLゲーに象徴される女子(腐女子)の違いであろう。
つまり、男子と女子の体の違い、心理の違いである。
ゲームの違い、文化の違いには性差が必ず出る。
しかし、1人の人間の中にも男性と女性が存在している。
またはポール・マクリーンの仮説通り、「ワニの脳」、「ネズミの脳」、「ヒトの脳」があるのだから感情の起伏が激しい生物なのだろう。
そんな場面をPCゲームで発見し、文化の奥行きを考えさせられる。
以上!
エロゲーは女性と主人公がセックスするが、「主人公=ゲーマー」であり、視点も主人公視点である。
だから、つい見入ってしまう。
かわいい少女が自分としている気分になる。
それが売りだろうが。
BLゲーはむしろ「覗き」だ。
男性と男性が絡み合っている場面を「見ている」のである。
自分としている気分はまず、ないだろう。
そこがエロゲーに象徴される男子、BLゲーに象徴される女子(腐女子)の違いであろう。
つまり、男子と女子の体の違い、心理の違いである。
ゲームの違い、文化の違いには性差が必ず出る。
しかし、1人の人間の中にも男性と女性が存在している。
またはポール・マクリーンの仮説通り、「ワニの脳」、「ネズミの脳」、「ヒトの脳」があるのだから感情の起伏が激しい生物なのだろう。
そんな場面をPCゲームで発見し、文化の奥行きを考えさせられる。
以上!
2008年9月13日土曜日
道徳教育
道徳教育は今の日本社会の乱れを立て直す手段としては多くの人間から認められている。
しかし、道徳を相手にするだけあって学校教育としては難儀なものである。
はたして道徳をテストすべきなのか、道徳とはテストではかれるものなのか、ここが問題点である。
そこには社会を改正していく動きの初期段階として苦労する面がある。
必ず反発を食らう。
モンスターペアレントしかり、役人しかりである。
学校教育ではなく家庭教育に注目が集まるが、これも制度は難しいうえ、個人個人での解決というのは改正の放棄に近い。
それでも今は少なかれ品格ブームである。
坂東眞理子の本がとても売れ、一見、日本が道徳を気にし出したかに見える。
しかし、気にし出してもブームはブームではなかろうか。
そして、留意してもらいたいのが、「これは上の世代が慌てふためいてるだけなのではないか」ということである。
ボクの世代は生まれてから、ものごころついてから、社会を知ってから、世間はこのざまである。
そんな世界に生まれた人間たちにとって年長者が感じる道徳に乱れ、社会の乱れは感じにくいであろう。
世代間の感覚の差異とはそういうものである。
ボクとしてはブームにしても道徳の乱れにしてもさして興味はない。
その乱れによって興味があるのは何がなくなり、何が生まれるかである。
変化にかかわる動きの分析を行いたいだけである。
まあ、もし、道徳教育によって世の中がいわゆる「正常」になってもその動きを見続けるだけではあろうが。
以上!
しかし、道徳を相手にするだけあって学校教育としては難儀なものである。
はたして道徳をテストすべきなのか、道徳とはテストではかれるものなのか、ここが問題点である。
そこには社会を改正していく動きの初期段階として苦労する面がある。
必ず反発を食らう。
モンスターペアレントしかり、役人しかりである。
学校教育ではなく家庭教育に注目が集まるが、これも制度は難しいうえ、個人個人での解決というのは改正の放棄に近い。
それでも今は少なかれ品格ブームである。
坂東眞理子の本がとても売れ、一見、日本が道徳を気にし出したかに見える。
しかし、気にし出してもブームはブームではなかろうか。
そして、留意してもらいたいのが、「これは上の世代が慌てふためいてるだけなのではないか」ということである。
ボクの世代は生まれてから、ものごころついてから、社会を知ってから、世間はこのざまである。
そんな世界に生まれた人間たちにとって年長者が感じる道徳に乱れ、社会の乱れは感じにくいであろう。
世代間の感覚の差異とはそういうものである。
ボクとしてはブームにしても道徳の乱れにしてもさして興味はない。
その乱れによって興味があるのは何がなくなり、何が生まれるかである。
変化にかかわる動きの分析を行いたいだけである。
まあ、もし、道徳教育によって世の中がいわゆる「正常」になってもその動きを見続けるだけではあろうが。
以上!
2008年9月11日木曜日
エロゲー講壇
世界には教会もあれば売春宿もある。
なにも創造に善も悪もない。
そこにあるのは「遊び」だ。
それを前置きにしたい。
ボクはまったくと言っていいほどゲーム(電子ゲームのことだが)をやらない。
小学校の頃は何本かPSのソフトも持っていたのだが、それで満足するぐらいのものだった。
珍しくはないが、ゲームのコントローラーのさばきがとても上手な子供、最近は子供に限らないだろうが、いるでしょ?
あれは「遊び」の力のすごいところだよね。
ただ自分の欲望にまっすぐに力を磨いている。
あれがボクの理想型。
コントローラーにもガンコンとか釣りコンがある。
あれも工夫したものだよ。
そっちの方が、臨場感があるもの。
よりリアルに、かつヴァーチャルに、そこのバランスが重要なのかな。
そういうのを考えていたら、先日、ハッ!と思った。
エロゲーにそういうのがあったら面白い。(笑)
なんとも卑猥なものではあるが。
だが、あればきっと売上が取れるはずだ。
ボクが考えたのは「女性の腰の部分型コントローラー」だ。
もちろん、穴あり(二つ)、なかはオナホールみたいになっており、振動や収縮が起きる。
そこに挿入し、パソコン画面なりTV画面と連動して操縦者が腰を動かして相手の感度を上げていくゲームだ。
それには対応ソフトも必要で、人間の感覚をモデルとしているので開発もたいへんだろうが、きっと需要があるはずだ。
進歩したゲームともオナホールとも言える。
エロゲーだけあって開拓の余地も需要の目途もある。
だって、男の性欲がなくなることはまずないから。(笑)
以上!
なにも創造に善も悪もない。
そこにあるのは「遊び」だ。
それを前置きにしたい。
ボクはまったくと言っていいほどゲーム(電子ゲームのことだが)をやらない。
小学校の頃は何本かPSのソフトも持っていたのだが、それで満足するぐらいのものだった。
珍しくはないが、ゲームのコントローラーのさばきがとても上手な子供、最近は子供に限らないだろうが、いるでしょ?
あれは「遊び」の力のすごいところだよね。
ただ自分の欲望にまっすぐに力を磨いている。
あれがボクの理想型。
コントローラーにもガンコンとか釣りコンがある。
あれも工夫したものだよ。
そっちの方が、臨場感があるもの。
よりリアルに、かつヴァーチャルに、そこのバランスが重要なのかな。
そういうのを考えていたら、先日、ハッ!と思った。
エロゲーにそういうのがあったら面白い。(笑)
なんとも卑猥なものではあるが。
だが、あればきっと売上が取れるはずだ。
ボクが考えたのは「女性の腰の部分型コントローラー」だ。
もちろん、穴あり(二つ)、なかはオナホールみたいになっており、振動や収縮が起きる。
そこに挿入し、パソコン画面なりTV画面と連動して操縦者が腰を動かして相手の感度を上げていくゲームだ。
それには対応ソフトも必要で、人間の感覚をモデルとしているので開発もたいへんだろうが、きっと需要があるはずだ。
進歩したゲームともオナホールとも言える。
エロゲーだけあって開拓の余地も需要の目途もある。
だって、男の性欲がなくなることはまずないから。(笑)
以上!
2008年9月6日土曜日
危険思想
9月一発目がこれか・・ってかんじにはなりますが。
自信作なんでw
どうぞ!!
(この3行のみ久々のlive書き)
強姦は生殖における手段の一つとも言えるのに何故、法に触れるのか。
そこが不思議だ。
産めよ、増やせよではいけないのか。
ソドムとゴモラはなぜ神の怒りにふれたのか。
神がそうだから、としか言いようがないが。
それでも、野生動物は繁殖期があるという違いこそあれ同じ動物だろう?
人間も野生動物だろう?
なのに、なぜ、法がある。
人間が人間を縛るとき、縛る側は賢者であることは勿論、神にも等しくなくてはいけないのが条件だ。
そして、大抵の法は後の世では捨てられる。
それだけ、法治主義が穴だらけなのだ。
人間なんて勝手にやっててくれるのに。
いや、法治主義が勝手にやってる証拠か。
だとすれば、それでよしか?
しかし、ショーペンハウワ―やフロイトの言うとおり人間は「非合理的で盲目的な意志」があるようだ。
危険やタブーの海に飛び込みたいのだ。
地獄にさえ憧れを持つのだ。
ソドムやゴモラのような街があったら、きっと、天罰が下ると知っていても行く人がいるだろう。
ボクだってそうかもしれない。
生きる楽しみとして、死に近づくのだ。
ならば、ソドムとゴモラに天罰が下ると知っていれば、なおさら快感だろう。
行きたがる人間もなお多くなるだろう。
路上を歩けば、レイプは当然、同性愛や人身売買が常に行われているのだ。
臭気はなお興奮を高め、卑猥な音が響き渡る。
欲望と悲しみと快楽と背徳が重なる。
価値観は欲に包まれる。
そんな地獄絵図が人間の望む世界の1パターンでもあるのだ。
以上!
自信作なんでw
どうぞ!!
(この3行のみ久々のlive書き)
強姦は生殖における手段の一つとも言えるのに何故、法に触れるのか。
そこが不思議だ。
産めよ、増やせよではいけないのか。
ソドムとゴモラはなぜ神の怒りにふれたのか。
神がそうだから、としか言いようがないが。
それでも、野生動物は繁殖期があるという違いこそあれ同じ動物だろう?
人間も野生動物だろう?
なのに、なぜ、法がある。
人間が人間を縛るとき、縛る側は賢者であることは勿論、神にも等しくなくてはいけないのが条件だ。
そして、大抵の法は後の世では捨てられる。
それだけ、法治主義が穴だらけなのだ。
人間なんて勝手にやっててくれるのに。
いや、法治主義が勝手にやってる証拠か。
だとすれば、それでよしか?
しかし、ショーペンハウワ―やフロイトの言うとおり人間は「非合理的で盲目的な意志」があるようだ。
危険やタブーの海に飛び込みたいのだ。
地獄にさえ憧れを持つのだ。
ソドムやゴモラのような街があったら、きっと、天罰が下ると知っていても行く人がいるだろう。
ボクだってそうかもしれない。
生きる楽しみとして、死に近づくのだ。
ならば、ソドムとゴモラに天罰が下ると知っていれば、なおさら快感だろう。
行きたがる人間もなお多くなるだろう。
路上を歩けば、レイプは当然、同性愛や人身売買が常に行われているのだ。
臭気はなお興奮を高め、卑猥な音が響き渡る。
欲望と悲しみと快楽と背徳が重なる。
価値観は欲に包まれる。
そんな地獄絵図が人間の望む世界の1パターンでもあるのだ。
以上!
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