ボクはどちらかというと受け入れやすい性格で好き嫌いがなく生きている。
「視点」という好きな言葉がある。
さまざまな視点では異なった価値観が存在する。
視点をずらすと人の価値観なんてものは脆弱なものと化す。
しかし、自らが人生を選択し決定することが人間らしい知性のある生き方だ。
サルトルみたいなことを書いてしまったが、好きとか嫌いとかを自らの中に持つことで自分という枠を持つことができる。
オリジナリティー、アイデンティティは主体的に作っていくものだろう。
川喜多半泥子はキレイダ・キライダをはっきり言い続けた風流人であり、陶芸の大家であり、三重・百五銀行の頭取も勤めた経済人でもある。
彼のように断言することで自分というものを確立できるかもしれない。
それは迷いを捨てることにつながるかもしれない。
ボクは以前、(こう思う人は世間にもいるかもしれない)価値観なんて視点次第という考えはなにか仙人のような、磨かれた知性だと思っていた。
そうなる途中に、プロセスとして、価値観を持つ時代があるのだと。
しかし、いまはそうではないことがわかった。
プロセスではない、それぞれは完成された作品だ。
タイプ、型のようなものでそこにこそ価値観はおけない。
別次元にあるのだ。
だいじなことをまとめたい。
要は、視点を変えてみたり、ワープしたりすることで価値観の相違を量ることとひとつの視点に当てはまって、そこから自分を押し出していくことの両方をうまく利用することが人生において柔軟でいられる方法なのだ。
以上!
2008年11月30日日曜日
2008年11月29日土曜日
おっぱいの発見
ボクはどちらかというと、おっぱいに興味がわかなかった。
まあ、獣、自然派だったわけです。
しかし、最近、エロ同人誌の読みすぎか、すこしずつ良さがわかってきた。
わかってきたからか、「おっぱい」という言葉の面白さを発見した。
そもそも「おっぱい」は幼稚さが伴った言葉だ。
そこから考えた結果をまず述べる。
乳房は小さくてもいいにしろ、おっぱいは小さいことは許されない。
それは言葉のニュアンスの違いであり、またはボクの偏見だろう。
理由はなにか、簡単だ。
おっぱいは破裂音が伴っている。
そこだ。
破裂音から「おっ・ぱい!」は大きい乳を表す。
巨乳とは言わないが、ある程度の張りのある大きな乳は乳児にとって必要で、そこからおっぱいは幼稚さにつながる。
以上!
まあ、獣、自然派だったわけです。
しかし、最近、エロ同人誌の読みすぎか、すこしずつ良さがわかってきた。
わかってきたからか、「おっぱい」という言葉の面白さを発見した。
そもそも「おっぱい」は幼稚さが伴った言葉だ。
そこから考えた結果をまず述べる。
乳房は小さくてもいいにしろ、おっぱいは小さいことは許されない。
それは言葉のニュアンスの違いであり、またはボクの偏見だろう。
理由はなにか、簡単だ。
おっぱいは破裂音が伴っている。
そこだ。
破裂音から「おっ・ぱい!」は大きい乳を表す。
巨乳とは言わないが、ある程度の張りのある大きな乳は乳児にとって必要で、そこからおっぱいは幼稚さにつながる。
以上!
2008年11月27日木曜日
いまのオタク
注:「オタク」はオタク文化、サブカルチャー、下流社会全般を広い意味で示しています。
“オタク”なんてものは「消す価値もない」と思われているべきなのだ。
それによって生き延びてきたのだから。
また、そう思われることにオタクとして意義があった。
しかし、最近はほんとうにオタクがメインカルチャーにこそならないものの、注目の的に、悪く言えば、「叩かれている」のだ。
そこがボクとしては好奇心が出る反面、オタクが消滅する危険性があるとして恐れてもいるのである。
この世は移ろいがあるとはいえ、自分の拠り所が消えていくのをみすみす見ていたくない。
有効な手としてはアキバを捨てることだ。
もはや、アキバは観光地と化している。
金銭がうごめき、オタク情緒の街ではないのだ。
街全体がテーマパークだ。
隠れ里ではもはやない。
やはり、開拓するしかあるまい。
現実世界に。
もっとも、最初はヴァーチャルなネットも考えられたが、アキバよりも質が悪い。
壁など無いに等しいからだ。
東京にあること自体テーマパーク化する恐れがあるのだ。
東京に近い県でよいのではないか。
それぐらい真にアンダーグラウンドだった時代が羨ましく思える。
以上!
“オタク”なんてものは「消す価値もない」と思われているべきなのだ。
それによって生き延びてきたのだから。
また、そう思われることにオタクとして意義があった。
しかし、最近はほんとうにオタクがメインカルチャーにこそならないものの、注目の的に、悪く言えば、「叩かれている」のだ。
そこがボクとしては好奇心が出る反面、オタクが消滅する危険性があるとして恐れてもいるのである。
この世は移ろいがあるとはいえ、自分の拠り所が消えていくのをみすみす見ていたくない。
有効な手としてはアキバを捨てることだ。
もはや、アキバは観光地と化している。
金銭がうごめき、オタク情緒の街ではないのだ。
街全体がテーマパークだ。
隠れ里ではもはやない。
やはり、開拓するしかあるまい。
現実世界に。
もっとも、最初はヴァーチャルなネットも考えられたが、アキバよりも質が悪い。
壁など無いに等しいからだ。
東京にあること自体テーマパーク化する恐れがあるのだ。
東京に近い県でよいのではないか。
それぐらい真にアンダーグラウンドだった時代が羨ましく思える。
以上!
2008年11月21日金曜日
好き嫌い
こどものたべものに対する好き嫌いは食の豊かさとともに日本にやってきた。
それに関して、モラル的に好き嫌いを否定するのはあまりに前時代的だ。
食の豊かさを得るとはこういうことであると貧しい時代は予想できなかったのだ。
「空腹」、それは戦争直後を味わった世代と戦後生まれの世代とではまた違い、平成の世に生まれた世代ならば雲泥の差であろう。
われわれの世の中では、空腹感は飢餓につながることはない。
空腹感がなくとも、時間に合わして飯を食っているだけである。
そんな食が食べることに本意を持たない世代には好き嫌いなどあって当然である。
そんななかでも、ニンジン嫌いのこどもにニンジン嫌いを克服させようとするテレビ番組を見かけるが、大抵、この手の番組の結果はニンジンをニンジンでなくしてこどもに食べさせるものである。
見ていて何をしているのかわからない。
ニンジンからニンジンの風味をなくしたニンジン料理など克服でも何でもない。
世の中に出てニンジンの風味のないニンジン料理を食べることはまずないだろう。
風味は料理の目的にも近い。
ただ、好き嫌いがいけないことだからニンジン嫌いをやめさせようなどというのは浅はかな考えだ。
今の時代、好き嫌いの2つや3つ、何ら人生に障壁とならない。
もちろん、嫌いになる食材にもよろうが、それも障壁とは呼べまい。
好きか嫌いか意見を持つことは大事だ。
自分があることは社会に入る第一歩だ。
好き嫌いがあるということは豊かさの象徴だ。
以上!
それに関して、モラル的に好き嫌いを否定するのはあまりに前時代的だ。
食の豊かさを得るとはこういうことであると貧しい時代は予想できなかったのだ。
「空腹」、それは戦争直後を味わった世代と戦後生まれの世代とではまた違い、平成の世に生まれた世代ならば雲泥の差であろう。
われわれの世の中では、空腹感は飢餓につながることはない。
空腹感がなくとも、時間に合わして飯を食っているだけである。
そんな食が食べることに本意を持たない世代には好き嫌いなどあって当然である。
そんななかでも、ニンジン嫌いのこどもにニンジン嫌いを克服させようとするテレビ番組を見かけるが、大抵、この手の番組の結果はニンジンをニンジンでなくしてこどもに食べさせるものである。
見ていて何をしているのかわからない。
ニンジンからニンジンの風味をなくしたニンジン料理など克服でも何でもない。
世の中に出てニンジンの風味のないニンジン料理を食べることはまずないだろう。
風味は料理の目的にも近い。
ただ、好き嫌いがいけないことだからニンジン嫌いをやめさせようなどというのは浅はかな考えだ。
今の時代、好き嫌いの2つや3つ、何ら人生に障壁とならない。
もちろん、嫌いになる食材にもよろうが、それも障壁とは呼べまい。
好きか嫌いか意見を持つことは大事だ。
自分があることは社会に入る第一歩だ。
好き嫌いがあるということは豊かさの象徴だ。
以上!
2008年11月18日火曜日
楽しいから強くなれる
剣に触れていると初めて触れたときより短く軽く思える。
剣に常に触れていることが大事だ。
柄の触感や抜きの感覚を常に掴んでおくのだ。
それは剣が好きな者勝ちだ。
常に何かを斬りたい、殺したいと思う心を持つ者だ。
斬る為にもっとも優れた剣、日本刀が自分の欲求を叶えてくれる。
だから、好きになれる。
剣を好きになろう。
以上!
剣に常に触れていることが大事だ。
柄の触感や抜きの感覚を常に掴んでおくのだ。
それは剣が好きな者勝ちだ。
常に何かを斬りたい、殺したいと思う心を持つ者だ。
斬る為にもっとも優れた剣、日本刀が自分の欲求を叶えてくれる。
だから、好きになれる。
剣を好きになろう。
以上!
2008年11月16日日曜日
海舟伝
勝海舟は「コレデオシマイ」と遺書に記している。
そういうところが勝海舟らしく、彼の人気の理由だろう。
人生を謳歌するものとして余裕が感じ取れる。
余裕を持つ人物こそ歴史に名を残せるのではないか。
つねに気負いを感じ、せっぱつまっては頭も固くなるばかりである。
もっと、遊びを感じ、大きく大きくか考えていかなければやりたいことも見つからないまま終わっていくだろう。
勝海舟はたしかに成り上がりだ。
曽祖父は盲目で百姓の生まれから高利貸しになった人物で、高利貸しで得た大金で武士の身分を買っている。
しかし、勝家のくらしは貧しく、旗本であったが無役であったという。
低い身分の者が幕末の中心であったのだろうか。
勝海舟はじめ坂本竜馬、新撰組、山岡鉄舟など多く挙げられる。
勝の生きざまはなんとも男気溢れる。
それは彼の江戸っ子なまりに現れるようにロマンがあり、人生を物語のように感じていたのではないかと推測できる。
そこからは先述のように余裕が感じ取れるのだ。
「コレデオシマイ」その物語の終わりというものをバッと感じ取れる。
同じように白洲次郎も素晴らしい遺書を残している。
以上!
2008年11月13日木曜日
常識と世代の哲学
人生五十年だった時代と百歳もざらにみる現代とでは命のあり方、人生の目的意識も異なっていたであろう。
そういう所謂、意識の違いが判断力や思考力を変化させ、独特の思想や哲学を築いていった。
それには環境という概念は非常に大切なポイントとなる。
すべて環境による決定とは言い難いが、それでも自己よりも環境の方が判断の分が多いのではないか。
そう考えると我々がいま、悩んでいる「空気」についてはまさにそれであろう。
全体が支配し、かつ各々の中に住むものの仕業だ。
全体を築くためには、社会と言い換えてもいいが、それには共通する感覚、一般意思がないと築くことはできない。
それには多少のずれこそあれ常識として荘厳に世の中に君臨する。
しかし、その常識がどれほど現代という時代において使用するには脆く、性質も変化しやすいか。
それは近頃、考えた「世代間の哲学」がまさしく答えとなろう。
世代が違えば考えることも違い、自ずと常識とするものも異なってくる。
ケータイが常識の世代、好景気体験が常識の世代、戦争体験が常識の世代、生まれたばかりの世代、死に逝く世代。
変化の激しい現代であるからして、このような世代間のズレが生じる。
江戸時代の農村ならば、50年前の人間が未来に行ったとしても、さほどの障害は起こらないだろうが、現代ならばもはやその人間の常識など何の役にも立たないであろう。
それは我々が望み、かつ望まなかったことだ。
「最速」という言葉が電子機器においてポジティブに聞こえ、「スローライフ」という言葉が生活様式においてはポジティブに聞こえる。
しかし、両方を望み、両方で幸福を得ることは不可能である。
真に生きるということは何かを捨てなければならない。
以上!
そういう所謂、意識の違いが判断力や思考力を変化させ、独特の思想や哲学を築いていった。
それには環境という概念は非常に大切なポイントとなる。
すべて環境による決定とは言い難いが、それでも自己よりも環境の方が判断の分が多いのではないか。
そう考えると我々がいま、悩んでいる「空気」についてはまさにそれであろう。
全体が支配し、かつ各々の中に住むものの仕業だ。
全体を築くためには、社会と言い換えてもいいが、それには共通する感覚、一般意思がないと築くことはできない。
それには多少のずれこそあれ常識として荘厳に世の中に君臨する。
しかし、その常識がどれほど現代という時代において使用するには脆く、性質も変化しやすいか。
それは近頃、考えた「世代間の哲学」がまさしく答えとなろう。
世代が違えば考えることも違い、自ずと常識とするものも異なってくる。
ケータイが常識の世代、好景気体験が常識の世代、戦争体験が常識の世代、生まれたばかりの世代、死に逝く世代。
変化の激しい現代であるからして、このような世代間のズレが生じる。
江戸時代の農村ならば、50年前の人間が未来に行ったとしても、さほどの障害は起こらないだろうが、現代ならばもはやその人間の常識など何の役にも立たないであろう。
それは我々が望み、かつ望まなかったことだ。
「最速」という言葉が電子機器においてポジティブに聞こえ、「スローライフ」という言葉が生活様式においてはポジティブに聞こえる。
しかし、両方を望み、両方で幸福を得ることは不可能である。
真に生きるということは何かを捨てなければならない。
以上!
2008年11月7日金曜日
器のなかの人間
人間は、とくに科学者は、多少なりとも宇宙の実態を解き明かしてきていると思っているのだろうが、解き明かした部分など全くない。
ただ、こうであるという大きな仮説を結果とし、それを真実に置き換えているにすぎない。
だから、人間の真実というのはすぐに変わる。
欲望や権力が真実を曲げるのは人間の常道であろう。
織田信長の死、聖徳太子の実在など歴史はすぐ塗り替えられる。
歴史はその代表だが、科学もそうである。
火とはなにか。
それを考え、数千年がたつ。
古来は自然哲学者が考え、現在は科学者が考えている。
時代とともに火の発生原理は塗り替えられてきた。
これを科学の進歩と唱える輩もいるかもしれないが、これは公式な理論が新論に代っていったのだ。
人間が真実を塗り替えているにすぎない。
自然はもっと虚ろだ。
ただ、人間が自然に色をつけ見ているのである。
まるで、人間は自然の中で生きていながらも、別の世界に実体、本当の自然があるのではないかとボクは思ってしまう。
イデア論のようになってしまった。
また、『マトリックス』の世界観もある。
まあ、これを非科学的なものだとして切り捨てるのが科学であろうが、これもまた1つの論として成り立つことも否めないのではないか。
以上!
ただ、こうであるという大きな仮説を結果とし、それを真実に置き換えているにすぎない。
だから、人間の真実というのはすぐに変わる。
欲望や権力が真実を曲げるのは人間の常道であろう。
織田信長の死、聖徳太子の実在など歴史はすぐ塗り替えられる。
歴史はその代表だが、科学もそうである。
火とはなにか。
それを考え、数千年がたつ。
古来は自然哲学者が考え、現在は科学者が考えている。
時代とともに火の発生原理は塗り替えられてきた。
これを科学の進歩と唱える輩もいるかもしれないが、これは公式な理論が新論に代っていったのだ。
人間が真実を塗り替えているにすぎない。
自然はもっと虚ろだ。
ただ、人間が自然に色をつけ見ているのである。
まるで、人間は自然の中で生きていながらも、別の世界に実体、本当の自然があるのではないかとボクは思ってしまう。
イデア論のようになってしまった。
また、『マトリックス』の世界観もある。
まあ、これを非科学的なものだとして切り捨てるのが科学であろうが、これもまた1つの論として成り立つことも否めないのではないか。
以上!
2008年11月5日水曜日
ひとつの方法
よく読書している時や調べものしている時、恥ずかしながらテストの問題を解いている時にわからないところにぶつかる。
ボクが嫌うことはこのときに止まってしまうことだ。
ウォーターフォールモデルのように目の前の障壁を飛ばしてしまうことや後戻りすることは決して効率のよい方法とはいえない。
しかし、そうなってしまう人間の方が多いのではないか。
そういう人間は時間の有効活用の面からいえば柔軟性に欠ける。
そういう人間は生真面目なのかもしれない。
問題を飛ばすことをズルかなんかと思っているのかもしれない。
しかし、そんな勝ち目のない問題よりも勝算のある問題を解いていった方が断然、点は取れる。
その方が、解ける問題にあたりやすいだろうし、精神的にもリラックスできる。
できない問題で力んでいると、それが解けても疲れが残り、その後に支障を来す。
そう考えると、わからないことはとばし、残った時間でそれを解こうとする方が賢明だろう。
先週、テストがあったので書いた。
以上!
ボクが嫌うことはこのときに止まってしまうことだ。
ウォーターフォールモデルのように目の前の障壁を飛ばしてしまうことや後戻りすることは決して効率のよい方法とはいえない。
しかし、そうなってしまう人間の方が多いのではないか。
そういう人間は時間の有効活用の面からいえば柔軟性に欠ける。
そういう人間は生真面目なのかもしれない。
問題を飛ばすことをズルかなんかと思っているのかもしれない。
しかし、そんな勝ち目のない問題よりも勝算のある問題を解いていった方が断然、点は取れる。
その方が、解ける問題にあたりやすいだろうし、精神的にもリラックスできる。
できない問題で力んでいると、それが解けても疲れが残り、その後に支障を来す。
そう考えると、わからないことはとばし、残った時間でそれを解こうとする方が賢明だろう。
先週、テストがあったので書いた。
以上!
2008年11月2日日曜日
カントリージェントルマン
「カントリージェントルマン」という人間がいる。
白洲次郎が理想とした姿だそうだ。
田舎紳士という意味ではなく、財政の中心からはすこし離れたところにいながら、中心の様子を注意深く伺っている人間をイギリスではそう呼ぶそうだ。
もともと、イギリスには伝統的に貴族が社会に生きている。
いや、貴族のみならず、階級、身分という伝統が日本とは違って未だに生きている。
その、貴族の屋敷はすべてがロンドンの中心にあるわけではない。
郊外に広い敷地とともに建っている伝統的な屋敷は多い。
それからもカントリージェントルマンの姿、発端が伺える。
カントリージェントルマン、そういう政治家の在り方は日本にもあったのではないか。
もともと、武士階級がそうであったであろう。
鎌倉時代のころから「いざ鎌倉」という武士の言葉があった。
やはり、鎌倉時代の武士がカントリージェントルマンに当たるだろう。
同時代の西洋の騎士がカントリージェントルマンの発生とみると、日本も西洋も中世、封建社会の始まりに現代社会の為政者のはじまりを見ることができる。
つまり、後々に大名になっていく「武士」だとか、貴族化していく「騎士」はもともと地方にいながらも積極的に政治を考える人間だった。
彼らは考えていたのだろうと思う。
彼らは地方の為政者であり、かつ国を考える。
それには命を張っていた。
なにせ、彼らの生業は戦闘である。
そして、死以上の価値の名誉は美意識としてあった。
カントリージェントルマンは社会人としてあるべき姿だろう。
アンガージュマンほど意気込む必要もないニュアンスがあるだろう。
カントリージェントルマンは日本人には懐かしく、イギリスでは継承していくべき姿なのかもしれない。
そう考えると日本人の白洲次郎がイギリスでそれを見つけられたのも必然的だ。
以上!
白洲次郎が理想とした姿だそうだ。
田舎紳士という意味ではなく、財政の中心からはすこし離れたところにいながら、中心の様子を注意深く伺っている人間をイギリスではそう呼ぶそうだ。
もともと、イギリスには伝統的に貴族が社会に生きている。
いや、貴族のみならず、階級、身分という伝統が日本とは違って未だに生きている。
その、貴族の屋敷はすべてがロンドンの中心にあるわけではない。
郊外に広い敷地とともに建っている伝統的な屋敷は多い。
それからもカントリージェントルマンの姿、発端が伺える。
カントリージェントルマン、そういう政治家の在り方は日本にもあったのではないか。
もともと、武士階級がそうであったであろう。
鎌倉時代のころから「いざ鎌倉」という武士の言葉があった。
やはり、鎌倉時代の武士がカントリージェントルマンに当たるだろう。
同時代の西洋の騎士がカントリージェントルマンの発生とみると、日本も西洋も中世、封建社会の始まりに現代社会の為政者のはじまりを見ることができる。
つまり、後々に大名になっていく「武士」だとか、貴族化していく「騎士」はもともと地方にいながらも積極的に政治を考える人間だった。
彼らは考えていたのだろうと思う。
彼らは地方の為政者であり、かつ国を考える。
それには命を張っていた。
なにせ、彼らの生業は戦闘である。
そして、死以上の価値の名誉は美意識としてあった。
カントリージェントルマンは社会人としてあるべき姿だろう。
アンガージュマンほど意気込む必要もないニュアンスがあるだろう。
カントリージェントルマンは日本人には懐かしく、イギリスでは継承していくべき姿なのかもしれない。
そう考えると日本人の白洲次郎がイギリスでそれを見つけられたのも必然的だ。
以上!
2008年11月1日土曜日
セリフ分析考察
漫画を読んでいて、「あれこのキャラのイメージに合わないセリフ言わせているぞ」っていうことがあった。
まず、「妙だな」と思ったが、だんだんと「いや、この漫画家は実は頭の切れる奴じゃないか」と思えてきた。
それはなぜか。
ほら、だいたい漫画のキャラって固定化されていて、それに合わせたセリフも固定化されているでしょ。
主人公ならクール系とか熱血系とかいじめられっ子系とかアンチヒーローだったりとだいたいわかりやすい。
主人公が成長するのは当たり前、それに合わせたセリフをかけるのも当たり前。
漫画家なら当然でしょ。
最初からのキャラでずっと書いていたって誰も楽しめやしない。
じゃあ、そう(・・)で(・)ない(・・)漫画家とはなにか。
ボクは主人公以外にも成長が、もしくは変化を描ける漫画家は才能があると思う。
ひとり、ひとりに思想を持たせ伸ばしていく、そのなかで諸々の、少しずつの成長、変化を描けるのなら人を見る目のある人間であり、たいしたものを描いてくれると思う。
思想と言ったが、人間を描く限りはキャラに思想を持たせることは重要だ。
そうすることによってキャラは「思想の記号」となる。
それにより、なにが起こっているか、ストーリーの展開がわかりやすくなると思う。
展開が先読みできる作品という意味ではない。
それは固定化された流れ(フラグ)に従っているだけだ。
言いたいのは先読みではなく、今を読む技術だ。
瞬間を分析することは絵で描かれ、それによりキャラの数も多くすることのできる漫画の長所であり、年齢や国を問わないともなれば特権とも言える。
そのためには「思想の記号」を意識し、成長や変化の流れをくみとることで常にキャラを的確に捉えることが重要だ。
今、現在の分析を欠いては未来を読むことはできず、未来図も妄想に囚われたにすぎなくなる。
以上!
まず、「妙だな」と思ったが、だんだんと「いや、この漫画家は実は頭の切れる奴じゃないか」と思えてきた。
それはなぜか。
ほら、だいたい漫画のキャラって固定化されていて、それに合わせたセリフも固定化されているでしょ。
主人公ならクール系とか熱血系とかいじめられっ子系とかアンチヒーローだったりとだいたいわかりやすい。
主人公が成長するのは当たり前、それに合わせたセリフをかけるのも当たり前。
漫画家なら当然でしょ。
最初からのキャラでずっと書いていたって誰も楽しめやしない。
じゃあ、そう(・・)で(・)ない(・・)漫画家とはなにか。
ボクは主人公以外にも成長が、もしくは変化を描ける漫画家は才能があると思う。
ひとり、ひとりに思想を持たせ伸ばしていく、そのなかで諸々の、少しずつの成長、変化を描けるのなら人を見る目のある人間であり、たいしたものを描いてくれると思う。
思想と言ったが、人間を描く限りはキャラに思想を持たせることは重要だ。
そうすることによってキャラは「思想の記号」となる。
それにより、なにが起こっているか、ストーリーの展開がわかりやすくなると思う。
展開が先読みできる作品という意味ではない。
それは固定化された流れ(フラグ)に従っているだけだ。
言いたいのは先読みではなく、今を読む技術だ。
瞬間を分析することは絵で描かれ、それによりキャラの数も多くすることのできる漫画の長所であり、年齢や国を問わないともなれば特権とも言える。
そのためには「思想の記号」を意識し、成長や変化の流れをくみとることで常にキャラを的確に捉えることが重要だ。
今、現在の分析を欠いては未来を読むことはできず、未来図も妄想に囚われたにすぎなくなる。
以上!
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