魅力的な人格とはどんなものだろうか?
キャラクター、人物像、ポリシー、性格、信念、人をかたちづくるものの話だ。
小説は人物像をすくい上げるところがまず読み進める第一歩のはずだ。
ボクはつまらない人物を嫌うから、どんなキャラクターでも、たとえ悪人でも、「魅力」が必要になると考えている。
少年漫画を読んでいると、よく思う。
こいつは敵だけど好きなキャラに入る、キャラとしての魅力がある、と。
人生を生きる上で大切なことは、人を好きになることだろう。
こいつを好きになろう。
それが平和な生活に導いてくれる行いだ。
隣人を愛せよ、この精神は確実に平和につながる。
もちろん、隣人を愛する人間が現代日本にどれほどいるのかは不明だが、それでもあらゆる人間を好きになるというのは世界中に通用する理想だろう。
ボクは規模が小さすぎるくらいだから、実践できる範囲のはずだ。
漫画を読むとき、どのキャラクターも肯定してあげるべきである。
親の気持ちになり、長所を挙げ、キャラクターと友達になるべきである
これがボクの習慣、というより癖である。
漫画でいうと少年漫画を描く漫画家はそこに気をつけるべきである。
やはり少年から読む漫画なのだから、キャラクターひとりひとりの魅力、好きになれるところをきちんとわかりやすく描く必要がある。
青年漫画からはもっと深みのある人生を背負うようなキャラクターを描き求めるべきだ。
一筋縄ではいかない人生だからこそ、深みとコクのあるキャラクターでなくては。
なぜ、キャラクターに「魅力」が必要なのか?に流れて行ってしまった。
最初の問いに戻り、魅力的な人格とはどんなものか?を書こう。
ボクがこうありたい、こんな人と友達になりたいと思うキャラクターは「どこかに欠陥がある」ことだ。
ボクの言う「欠陥」とは、そのキャラクターには似合わない性質のことで、キャラクター上の穴の事だ。
例えば、マッドサイエンティストなのに恐妻家だったり、No.1ホストなのに童貞だったり、パン屋なのに小麦アレルギーだったりと肩透かしを食らうような欠陥の事だ。
ボクは上記の例に一貫して持ち合わせている一種の「愛らしさ」が、ただ完全無欠のキャラクターではなく、欠陥のあるキャラクターの方が「落ち着く」のである。
ほんとうに良い人生には、完全無欠の機械人間はお呼びでない。
どこかに欠陥があり、少し口元がゆるんでしまうようなキャラクターが人生の舞台で舞い踊れるのだ。

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