友達の、いや、ぼくに友達と言うものを認めるのは少しオカシイ。
とにかく、その人間の親は父が19歳、母が22歳で結婚。
1年後には長男が生まれている。
これがソイツだ。
しかし、ぼくは、なぜ人間が終わりのある者に執着するのか、よくわからない。
恋愛も結婚も限界のあるものだ。
そりゃ、人間がつくっているから限界があるのは当然か。
ならば、人間、そのもの自体が限界のある愚かな存在を存在させることの意味は?
パスカルの言うとおりだ。
「人間は考える葦だ」
絶対的な沈黙を有する宇宙に比べれば人の一生なんて馬鹿みたいに虚しく弱い。
無意味な存在に近い。
でも、まあ。
無意味に近いからこそ。
自由がある。
自由とは選択の範囲の広さを言う。
広い行動選択は自由人にのみに与えられる。
まあ、だから、やりたいことをやらせてもらうだけだ。
暴れて、ひきちぎるものはひきちぎり、斬るものは斬りまくる。
かなり危険思想ダネ…。
以上!

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