2009年10月9日金曜日

あの頃のボクを守る

いまとなってはどんなものだったか、また誰が誰のかさえ覚えてはいない。
ただ、恥ずかしいことだけが残っている。

ボクが幼稚園児であったころ、幼稚園では一人ひとりクイズを出す日があった。
幼稚園児だから答えのすぐ出るようなクイズを出しては他の子に当てられていた。
ある日の担当がボクで簡単なクイズを出した。

「カブトムシの足は何本か?」

もちろん、座って聞いている子の一人が「6本。」とすぐに答える。
しかし、あのときなぜそんな解答を用意していたのかは忘れてしまったが、ボクは、

「3本だよ。」

という答えを、簡単すぎる問題に下を向いたり、横の子にちょっかいを出したりしている子たちに返したのだ。
ボクは即刻、「違うよ。」と否定され、泣きそうだった。
何も言い返せずにボクのクイズの幕は下りた。
そのあとのことはよほど惨めだったからか覚えていない。
しかし、あのとき確かになにか正解としての確かな手ごたえはあった。
それだけはずっといままで残っている。

つい、先日、そんな昔話を思い出していた。
いや、それが初めてではない。
今に至るまで何度も何度も思い返していた。
ただ、先日までは恥ずかしさだけが掘り起こされて、すぐにフタを閉じるだけだった。
先日にあのときの手ごたえがわかった。
あれは、屁理屈だった
カブトムシは6本足だが、3本足でもある。
つまり、「最大6本足という一般的な正答も正答ではあるが、3本も1本も0<X<6のなかに入っているので間違いではないはずだ」という幼稚園児ながらの可愛げのない屁理屈だったのだ。
それを理解したとき、あのとき自分に非がなかったことに、十数年という時間をまたいで安堵した。
または、小さい頃から虫好きだったから、野性のカブトムシには事故か喧嘩で足の欠けた個体をよく見ていたからそれを基にしてしまったのかもしれない。

また、ボクはあのときに世間というものの恐ろしさも経験したのだ。
自信のあっても、それが正しくとも、それを潰してしまう世間というものが小さいながらもあの場にあったことは書き漏らしてはいけない。
それが人間として生きる上で大きく関わるキーワード:世間への第一歩であるからだ。

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