2009年10月24日土曜日

”村”という政治体系

今日、ボクの住む町内(班と呼ばれているが)で、バーベキューが行われた。まあ、バーベキューといっても日本のバーベキュー。
作法も精神もないバーベキューだったから、もはや野外の宴会、それも町内でやっているのだから、むろん寄り合いにもなった。
これはただの馬鹿騒ぎではないのだ。いわゆる政治である。
ここでは陰口が飛び交い、冗談と本音が共に出る。「なあなあ」な感じはあるが、そこには了見と建前がいるものなのだ。
これは一種のパワーゲームであり、ミクロの社会であり、「いま」を語り合う場である。
けして失われてはいけない「村」の政治の在り方。
村というのは市町村の村ではない、一種の地域の在り方である。
村はいつの時代も百姓の統べる自治体でなければならないと思う。
「百姓」とは農民だけではない、むしろ農業をベースに敷き、副業を必ず行う者たちのことだ。
百姓とは、その中で政治が行える集団なのである。だから、どんな社会でも構成員は、全員百姓とも言い切れる。
「もと」は百姓なのだ。貴族も武士も最初は百姓だった。
これは起源説ではない、むしろ、その生活システムのベースとして百姓の働きは絶対に必要だからである。
無論、貴族も武士も起源は百姓である。
ただ、その「百姓」という社会の階層のなかで上位についた者が貴族になり、武装することで上位についた者が武士になったのだ。
百姓とはその字のごとく、社会(姓)全ての人々のことである。
社会を知るには百姓を知るほか道はない、と言い切れる。

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