2009年10月24日土曜日

耽美を知る~名作たる同性愛コミックの読後~

ボクは漫画好きだが全ての漫画を知っているわけではない。
だから、漫画をひとくくりに話すことはできない。
ただ、かすかな経験から言わせれば漫画に「悲劇」はないということである。
悲劇的な結末は、もともとは「幼稚」な文化である漫画にはあってはいけないように思う。
しかし、先日それに出会ったのだ。
だから、いま、体と頭が重い。本当に尾を引いている。
精神的な攻撃がとても激しかったのだ。
読書及び文化の攻撃というのは精神を狙ってくるから質が悪い。
『美少年』(原作:団鬼六 絵:小野塚カホリ)を19日買って20日のAM0:00から読んだ。結末がとても悲劇的で、ボク個人としては正直なところ性に合わなかった。
ストーリーに凌辱シーンがあってもボクはいいと思っている。ただあの主人公には腹が立ってならなかった
ああいうタイプは一生ボクとは関わることがないだろう。
中途半端だよ、優柔不断だよ。背負いこめていない。
「覚悟」、最近この言葉について考えている。

人生において最も重宝すべき言葉ではないか。
人は人と付き合うことこそ人生と言えよう、ならば他人との付き合いの心構えとしての「覚悟」を片時も離してはいけない。
半端なら死んでも半端だという覚悟だよ、これは。
ボクは人生を懸けて人生を生きていたいから、軽率な行動や浅はかな行為にかんしては憤りを感じずにはいれない。
「非情」も嫌いだ。他人の弱みにつけ込んで欲を貪るなんてことはエロスとしても品に欠ける。
上品なエロスこそ上方文化の専売特許だ。
あの作品はそのミスマッチを利用したようでもある。
上品な女性に育てられてきた美少年を荒々しく犯す、そのナンセンス。それは実に面白いことなのだが、ボクは性分からやはり好めない。
小野塚カホリの絵の妖艶さはたいへんよかった。

この作品がBLなのかどうかは否定されて良いだろう、しかし「艶」はBLにも同性愛という広いジャンルにおいても欠かせない絵の要素だ。
ここから彼女の作品を読んでいきたい。
また、本の装丁もとても良い。
菊雄がカラーできれいに描かれており、背景は黒、題字は赤、裏には女形の菊雄、そこの文字の縦書きもよかった。
官能小説家・団鬼六を意識してのことだろう。
紙の質もよかった。
本の大きさもボク好みだった。
中も外も美しさにこだわりを感じた。
久々の「官能」でもあった。
エロ漫画なんてものは夏から秋までで400冊近くを読んでいるのだろうが、“官能”は本当に久しぶりの感覚であった。
そのおかげもあり1日経ってもくらくらしている。
「耽美」なんて言葉はすぐに人を陶酔の世界に陥れるから使うのもはばかりたいものだ。

しかし、正直なところあれは耽美だった、そうとしか言えない。

最近は茶器を中心とした骨董に興味が出てきたから「耽美」だとか「詫び寂び」だとかいう美意識をどうしても他の趣味にも用いたくなる。
幸田露伴の「骨董」、中島誠之助がラジオで喋っていた「古物」、小林秀雄や青山次郎の「目利き」、どれも艶と耽美を知っている。
骨董の目をもって『美少年』を読んでいた。
好きなものはそうやって読んでいきたい。

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