言ってみれば、このブログで書くということもそうだ。
テーマこそ覚えているが、それに対する情熱だとか思いだとか、そういう感覚を忘れてしまうことがある。
原因はボクの文章の拙さだろう。
ボクは「完全な共感」という完全な気持ちの共有こそ表現の頂点であると考えている。
すると、思いを文字に変換する際、緊張が走る。
適語であるか。
いや、一般的には適していなくとも、より共感してもらえる書き方があるのではないか。
それは方法論として文字文明が積み上げてきたものの一つだ。
例えば、それは倒置法なり体言止めである。
正攻法でしか伝わらないもの、奇策で伝わるもの、人間が持つ共感の能力をどう掘り起こすか。
大きなテーマだ。
文字を一つの大きな基盤にした社会で生きる我々にとって、表現の方法を適材適所に使い分けることは社会の人間すべてが目指すべきである。
その意味では社会の人間、つまり「全人類みな表現者」なわけだ。
文士や絵描き、クリエイター、編集者などと職種にない表現者にも素晴らしい表現を持つ人は多くいる。
例えば、銭湯のおやじさんは銭湯をきれいに掃除し、銭湯を運営し、その上、客に気さくに話しかけてもくれる。
十分な表現ではないか。
そういう目を持ち、共感の触手を広げ続けなければならない。

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