たとえば、ボクが警察官になったとしても人生は表現することだという考えは失いたくない。
表現とは芸術家や作家、映画監督など文化に携わる人だけの作業ではない。
全人類の目的は「表現」であるとボクは思う。
つまり、人間である限り表現者を目指さなければならない、というところまで言い切れる。
表現すること、たとえば、冗談を言うこと、握手すること、デートすること、その後の事である。
つまり、表現することとは、他人と大いに親しく付き合うことだ。
まあ、その意味では、妊娠はその究極だ。
自分以外の同種を体に宿すことは愛の表現を究めてはいないだろうか。
母性が尊ばれるのはその滅私の表現が要因であろう。
言葉ではとどめられない愛情表現、生かしてくれる、それを感じることが母への愛情につながる。
ちょっと表現の色眼鏡をかけてみればよい。
いろんなところに表現が隠れ、表現者が潜んでいる。
人間の歴史は表現の歴史でもある。
これからはそう考えてみたい。
その色眼鏡をかけて、その表現の矢印を見つける。
どの方向に表現が向いているのか。
どれだけの表現の矢印が伸びているのか。
その状況と表現の整合性はあるのか。
きっと伝えるということに、大げさに言うと人間の生きる目的に近づけるかもしれない。
そしてまた、「表現」、それがビジネスや文化、学問の新天地かもしれない。

0 件のコメント:
コメントを投稿