2009年8月29日土曜日

小言ジジイ、侮ることなかれ。

うちの祖父は小言ばかり言っている。
先日もヘキサゴンを観ていると、こんなもんもわからんのか、などと嘲っていた。

ボクは以前、年の功についてよく考え、それについてはここにもしょっちゅう書いていた。
ボクはいまも年の功は存在するし、それが健全な人間の老いだろうと思っている。
それでは、うちの祖父は年の功を積んでこなかった堕落した人間ということになるのだろうか。
ボクの祖父は、たしかに聖人君主にはならなかったわけではある。
ボクは祖父について特に庇いだてするわけでもないが、ボクは祖父のような小言を言う老人は健全に老いていないわけではないと考えている。
それは、たとえば少年が、もし老人のような小言を呟いていたならば、それはいじけているだけ、不満があるだけであり彼の心は苦しくなっているはずだ。
しかしだ、老人の小言というのは決して苦しみはない。
それは一見、罵倒のようであるが、老人の心に悪はない。
むしろ、馬鹿にする者への愛情や親心があり、年長者としてのゆとりがある。
ボクの考えるに、小言老人なんてものはむしろ正道を歩んでいる。
まあ、目指すは聖人君主だろうが、人類がみな聖人や君主になれるとは思えない。
しかし、小言老人は聖人君主への境地のひとつであろうとは思う。
心のゆとりなくして、人間、大器を抱くことなどないであろう。
だから、人間まず目指すは小言老人なのだ。

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