日本とは何か?
いまの日本論とは何なのか?
日本人は自国をアメリカと同じ視点でしか見られていない、と思う。
その視点とはたとえば、「サムライ」だとか「スシ」だとか。
自国の文化にも関わらず、そんな売り文句のニッポンしか知っていないのだ。
それはなぜか?
きっと、日本社会全体が画一化されていったためであろう。
よくある商店街、よくある街並み、コンビニのような全国チェーンは社会そのもののことだ。
そして、日本は自分の姿を見失っていった。
サムライだとか、スシだとかはあくまで外国人向けの置物ぐらいのはずだ。
たしかにあれも日本だと認めるべき概念だ。
ただ、それは日本人が認めるべき日本ではない、とはっきり言いたい。
それは日本を一つの視点でしか見ることができない日本の姿だ。
日本はもっと多文化で多くの視点を持ち、奥ゆかしくい面倒な構造をしているはずだ。
例の一つに「地方」を挙げることができる。
「地方」とは何だ?
「地方」、「田舎」、「故郷」、「ふるさと」、それらは日本という全体の観念の縮小版だ。
日本には地方しか存在していないのだ。
「地方国日本」
田舎ばかりが日本の真の姿だ。
原因は東京のような狭い街を首都以上の存在にしてしまったからだろう。
(まだ、考えあぐねている途中だが、東京論こそ日本論のカギのはずだ。)
そしてまた、日本はあまりに山が多すぎるからだろう。
つまり、比較的に極端な自然が身近にありすぎるのだ。
どんな大都会からでも山々が見えるはずだ。
日本の場合、山地がほとんどの面積を占めているから当然なのだが、それでも街と山々の関連性も日本論のカギのはずだ。

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