昨日、地元の美術館で刀の展示をしていたので観に行ってきた。
たしかにきれいなものが幾つかあった。
きれいなもの、それはボクに言わせれば「切れそうな」ものだ。
特にそれは太刀に多かったと思う。
思ったより細身で短く、そして切れそうで使いやすそうであった。
ボクは剣術に興味があるから、刀の形状を観て、どんなふうに使うかを考えていた。
しかし、いわゆる名刀というものをボクはよく理解できないので「ただ見た」ぐらいのものだ。
ただ、家に帰ると部屋の脇にある関の孫六写しの模擬刀を抜いてみて、すぐわかった。
ああ、たしかにあれは名刀だったのだ、と。
どうにも残念だった。
美術館へ出発する前にも、その三本杉の波紋を眺めていたはずだ。
これが本物と一万何千円の偽物との明らかな差というものか、今もどうしようもない気分のままである。
本物と偽物をあそこまで徹底して教え込まれたことはなかった。
正直なところを言えば、重要文化財であるあの名刀を盗み出したい。
そして、それを振り回して、適当になにかを切ってみて笑いたい。
馬鹿みたいに恐ろしい額の、第一級の美術品の刀を使ってみたくてしようがない。
たしかに貴重な体験であった。
ボクは剣術家だ。
だから、刀は使ってこそ価値のあるものという観念に囚われている。
そして、使うならば最高の仕上げを持つ刀でありたいという欲も至って当然のごとく持ち合わせている。
だから、本物を見るとどうしてそれを思ってしまう。
そうして、ボクは刀の世界にどんどん深くはまっていくのだろう。

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