2009年8月21日金曜日

マツリ分析の巻~現代文化における祭り~

祭りをイメージする。
鉄パイプと鉄製の足場で造られたやぐら、電気で付く提灯、工事用のライト、カセットテープから流れる音頭、町内会の分担で決めた屋台、紙コップでビール、トレーで焼き鳥、これが現代お祭り文化だ。
これをボクは「製品型祭り」と呼ぶ。

これは祭りの亜流、もっと悪く言えば、邪道である。
祭りは神事である。
葵祭りや神田祭のように有数の祭りが日本の伝統文化として保存の意味でいまも盛大に行われている。
しかし、地方の祭りとそれらとは全く異なった文化だ。
それは製品型祭りとは現代人の知る本当のお祭りであり、葵祭りや神田祭はむしろニッポンの再発見だ。
製品型祭りに直接的な神事は絡んでいない。
ただ、祭りが神社で行われていたり、音頭があったり、太鼓が響いていたりするだけだ。
それらに誰も振り向かない。
ただの風物詩程度の心持で見る。
いまやこれが祭りの王道だ。
いや昔だってそうだったはずだ。
文明化すると少しずつ娯楽の需要が高まってくる。
それはつまり、人間の欲が広がってくることだ。
ちょっとの楽しみを神事に加えてみた。
そして現代の製品型祭りにいたる。
しかし、それでも祭りは祭り。
大昔からの雰囲気は確かに残っており、現代人はそれも祭りのイメージとしている。
どれだけグローバル化してもモバイル化しても、環境問題が叫ばれても祭りは相変わらず続いており、あの特有の高揚感と怪しさを引きずっている。

「マツリ」は世界中にある。
ただ、日本ほど現代型になり、視点を変えれば「見立て」を生かしている祭りも珍しいだろう。
そこがニッポンの根本的な悪因であり、まだまだ小さいけれどもひとつの文化のはずだ。

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