美とは何なのか?
なぜ、美がなくてはならないのか?
美と現実主義は矛盾するのか?
美について考えたのはデザインについて長期間に渡りずいぶんと考えているからだ。
ここで何度も挙げたテーマだ。
ただ、今回は美(美性ともいえる)とその存在意義についてだ。
なぜ、そんなものがあるのか?
それがテーマである。
「美とはね・・・。」なんて青山次郎のごとく美について考えることはたいていしない。
それどころか「美」なんて言葉を普通の会話で口に出すことすらない。
美なんてものは美術家、芸術家、目利き、世捨て人のための言葉だ、そんな風にも思われているのかもしれない。
しかし、確かに誰でも美が好きだし、美があるかどうかで選択することも多い。
美がこもった製品はやはり売れるし、美のある生き方には魅かれ、美人には誰もが弱い。
「だが、美のみを追い続ければ世の中で生きていくことはできない」、「世の中、妥協することも大事だ」
そんな一見大人な考え方、本当にそうだろうか。
もし、それが挫折したときに苦しまぎれに吐いた言葉なら、少し考え直してほしい。
ボクは何事も美になりえる、「美へ転化」することができると考える。
それはたとえば、喜劇のみに美が通うわけではなく悲劇にも美を感じられることのように誰しもが感じ、それを共感しているはずだ。
そして、その転化は「自身が美としての認識をすること」によって起こりえる。
芸術家の仕事はそこにある。
世の中から見たら、センセーショナルで狂っていて下らなくてもそれでも偉人となった過去の新進気鋭な芸術家たちはそれを美と言い続けていた。
それはそこに美を見出したからであり、言い換えればちょっと心を広くしたり視点を変えてみたりしたからだ。
心を変える、これは古典的でかつ現代から見れば画期的でとても実用的な考え方だ。
心を乱すこと、これをストレスという。
ストレス社会なんて言われているからストレスを嫌う人がいるが、ストレスに敵うものはストレスにほかならない。
例えば、勉強のストレスをスポーツのストレスで解消するように。
心にかかる力をちょっと変えてみるだけで世界は大きく変わるはずだ。
そこに美の存在意義が、教養としての意味が、価値がある。

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