2009年5月11日月曜日

いまのところはこれ二つ

歴史を見ると百年という時間はわずかなものに感じてしまう。
百年間という膨大な時間でさえ世界的な大事件はあまり起こらない。
しかし、その百年間の中には小さいながらも多くの出来事があるはずだ。
ただ全人類がかかわるような事件、発明はたしかに一瞬では起きないのだ。
積み重なった一日一日の実績の集大成が未来から眺めてみれば前代未聞の大発明が何の前触れもなく起こったかのように見え、軍人を、学者を天才と崇め理念化してしまうのだ。
それがわれわれの持つ偏見ともいえる愚劣した歴史観というものであろう。

しかし、きちんと紐解いて歴史に対し感覚をもっと研ぎ澄ませてみれば論理的で確実性のある考え方はいくらでもできるはずだとボクは思っている。
学説というのはどのような分野でも歴史を参照しているはずだ。
過去をたどり、かつ過去から予見できる範囲内の未来のことを思わなければ学説も実践性のない幻想となる。
もちろん、実用主義に囚われれば実践性が失われるように感じることは確かだ。
ボクが避けたい学説というのは確実な参照なしに取り組もうとする危うい学説だ。
学説が言葉である限りは他人を衝動的に突き動かすプロパガンダの一面があることは間違いない。
下手すればその学説が他人の死にも直結する危険があるのだ。
だから、ボクは誠実な学説を取り組むべきであろうとしていつも思考、思索している。
つまり、学者のように、いや全人類と同じようにボクも正しい思考の方法を求めているのだ。
そのなかで成立したものが以下の二つとなっている。


1:浮いた言葉と固まった言葉

2:短縮化していく世代間

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