「他人の批評」は若い頃には必要ないものかもしれない。
いや、むしろ害悪な対象であるかもしれない。
ボクは批評とは「他人の視点から生み出される関係性」であると考えている。
注意してほしいのは他人からしか批評は生まれない事実である。
自身の批評は客観性から生まれるのである。
反対に主観性からは自己への肯定が生まれるのである。
考えれば人間、間違った行動をわざと取ろうとはしないものである。
過ちは客観性からの批判によって決まるのだ。
そこで働くのが社会的な一般意思だ。
一般意思とはみんなが信じるもの、みんなが守るものを感じ取っている機関だ。
前々項のなぜ「かもしれない」の表現を説明したい。
先述の通り批評は外部からの指示だ。
それならば、若年層であるボクがそれを断定することはできないと考えたからだ。
批評についてまた付け加えるとすれば、「正しい批評は過去も現在も行えない」ということだ。
つまり、起こりうることは「未来においてのみ批評できる」のである。
しかし、ボクはそのためにも過ちとわかっていながも「今に自分の意見を主張する」ことを推進したい。
それは未来に過去を見直すための練習であり、「修正」という全人類における命題を失わないためだ。
だから、ボクは他人の批評は若いころには見ない方がよいと主張するのである。
徹頭徹尾の自分の意見というものを身につけるまでは他人の批評は毒にすぎない。
若い頃には他人の批評に影響されないためにだ。
よって、若者には他人の批評など必要はないのだ。
もっと、間違った批評をしよう。

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