「女子高生のストラップ」
女子高生がケータイのみならずバッグにも多くのストラップを付けているのを見た。
邪魔ではないのか、そう思えてくるほどだ。
ケータイから始まった彼女たちのストラップ文化は始まって10年以上経つだろう。
ストラップ文化を語る上でもっとも特徴的な点はその量である。
そこでは量的であることから粗雑な美意識を感じてしまう。
それは日本的な可愛らしさや日本的な美しさはあくまで「引き算」なのである。
では、なぜ可愛らしさを追い求める女子高生がそれに逆らうようのか。
それはここ20年間の女子高生がオス化していることが結論だろう。
女性が自らの力で生きていく社会ができている証拠だ。
そもそも可愛らしさはなぜ必要か。
その表現の先にあるのは何か。
それは異性であろう。
いや、適切に表現すれば現代の異性である。
かつての男性は家庭的な女性に魅かれていたのかもしれない。
それはまさに「家内」という呼称に意味されるように家の中にいる者であり、優しく弱々しい性格をよしとした。
しかし、いまや経済的にも男性だけでは家庭を支えることは難しい。
そうなると外の世界でも生きていける力を持つ女性が生まれる。
女性のあるべき性格のなかに「生き残るための力」が新入した。
現在はまだ過渡期のためかそれを非難する声もあるが数十年経てば社会的で職場で働ける女性こそが女性的であるとされるようになるだろう。
アマゾネス的な、男性的な女性像がボクには目に浮かぶ。
ストラップはまさに力強さ、荒々しさ、男性的な感性を表現し、過去の女性像からの脱却を意味しているのだろう。
そして、かつて流行した女子高生のメイクと言えば「ガングロ」、「ヤマンバ」だ。
あれこそ「カブキ」文化の再興であり、あのガングロでルーズソックスを履き、ケータイには大量のストラップを付けた姿にはバサラの風潮を感じていた。
いまや絶滅したが、それでも今、流行のキャバクラ嬢のメイク手法や髪型は力強さを感じさせ、ガングロの後継者とも取れる。
いま、女性に力強さ、積極的な社会性を求められていることは確かであり、社会全体がそれを擁護する姿勢にある。
ただ、注意する点は女性の社会進出が男性のものと同じように進むかと言えばそうではないだろうということである。
女性の発想や価値観が男性とは異なる点があることを留意して政策を練らないと下手なフェミニズム論を展開させてしまうだけである。
また、女性の社会進出に伴う男性の行き場にも注意が必要だろう。
いまは過渡期にあるが故に楽しい時期だ。

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