たとえば、秋葉原。
あれが「アキバ」としてオタクブームの中心地としてメディアに取り上げられるようになって久しい。
正直なところのボクの感想を述べたい。
正味、ああいう場所は、本当は世間で流行してはいけないのだと思う。
ひっそりとしていればよかった。
しかし、サブカルチャーの暴露が2000年代から爆発的に増えて、それがヒットし、常識と化した。
その勢いは狂気さながらだ。
そこにボクは危険性を感じる。
サブカルチャーの暴露、下流文化のブームは「知の新開拓地」であるとボクは感じると共に「文化ドラッグの流通」が起こるのではないか。
いや実際すでに起こっているだろう。
例えば、お笑いブーム。
これはもうブームというよりお笑いの文化としての上場だ。
メディアが視聴率をとるために利用した「笑い」の暴走、それは数十年前とは違い、インターネットを主とした情報技術の展開と同時進行で広がっていく。
圧倒されるのはバラエティー番組だ。
バラエティーがテレビのゴールデンタイムを平気で占め、野球中継もかつてに比べれば少なくなったのではないか。
未だ体系づけられていなかった「お笑い」は文化としても認めておられず、サブカルチャー中のサブカルチャーのはずだ。
それがいま、若手のライブに来るのはお笑いオタクよりも若者、それも女性客も多い。
10年前でさえ考えられないことだ。
かつてのラママのコーラスラインはひどく、素人同然の人間が舞台で芸をするという状況であったらしい。
見に来ていたのはすべてお笑いオタク。
それに比べれば今のお笑いブームを沸かせる若手お笑い芸人の芸は本当の芸だろう。
若手と言っても素人ではない、それなりに完成さして舞台に臨んでいるはずだ。
お笑いに代表されるように「商品としてのサブカルチャー」が注目されてしまったことが問題だ。
タレントが自らのフェチを暴露する、アニメが深夜番組として着目される、オタクの聖地「アキバ」がワイドショーで取材され観光地化する。
これらすべて、テレビを中心とした「メディアによるサブカルチャーの商品化」だ。
本当のサブルチャーは「あってもいいけど無くていい」というポジションにいなければならない。
(実際、消滅寸前の少数派のサブカルチャーというのは必ずある。)
そうしないと世の中に余裕がなくなる。
残すべき余白、世間が把握しきれない新大陸というのは社会がわざとでも確保しておくべきなのだ。
今、サブカルチャー問題のみならず、しかし、同様に社会に余裕がない。
金銭面の余裕ではなく、人間性としての余裕がないのだろう。
以上!

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