ボクの記憶のなかでは夏は常に青空、それも理想的な青空である。
入道雲があり海があり林がある。
白があり青があり緑がある。
田舎育ちのボクだから典型的な夏休み像が出てくる。
海で泳いだり、山で虫を捕まえたり、中学校の頃は太陽が照りつけるなか田んぼ道を自転車で
走って部活動から帰っていくところだったりする。
やはり嫌な思い出というのは勝手に頭が消去してくれるようだ。
あまり覚えていない。
そうなっていなかったら人間はストレスでおかしくなっているのかもしれない。
ただ、書き記したもののなかにいやな思い出というのはたまにだがあるのだ。
中学3年生のときボクは手書きの日記をつけていた。
まだ手元に残してある。
字体もそうだが内容というより文章が下手で読んでいて失笑ものだ。
いまから思い返すとあれは日記というより100字程度のとても短いエッセーであった。
それの半分は一日の反省で半分はただの愚痴であった。
そのなかにこうあった。
「かっこつけんな」と言われた。
それを読んだとき、あの時にひどく落ち込んだことを思い出し、また落ち込んだ。
あいかわらず、ボクはナイーブや繊細と言えば詩人のようなイメージだが本当に根暗で内気な人間のようだ。
その証拠にまたここでも愚痴っている。
ちょっとしたことで一喜一憂し、ちょっとの勇気も出せない。
出せないことに悔しささえ感じず人生に対する諦観を常に持ち合わせている。
それに救われてもきたが陥れられたこともしばしばある。
結局のところ、自分の性格というものとは一生戦い続けなくてはいけないらしい。
それはどう努力して人間性を磨いても変わりようのないことだろう。
苦しさから逃れるのではなく、常にそこに居続けなければならない。
“一切皆苦”
自分を貫き通すことに今、こう憧れを覚えているのはその内気さのせいだろう。
自分に欠けているものが欲しくて欲しくて堪らないのだろう。
スティーブ・ジョブズに熱狂するのも、マキシマムザホルモンに傾倒するのも主体性、それも個性的な個性が欲しいがためだ。
なにかで聞いた、「ロックは文系の人間が聴くものだ」、と。
文系とは文学少年を意味するのだろう。
人間との会話が苦手で本との会話しかできないような引きこもり型の文学少年を。
そういう少年は少し経つとアンダーグラウンドで爆発するようになることがある。
それがロックだ。
ロックの反骨精神は内容こそ外部との遮断であり、その表現そのものは極端な接触だ。
暴力的な歌詞や激しいメロディー、強烈なヴィジュアル、危ないパフォーマンスどれもが上記の通りだ。
それがいまのボクなのだろうとシミジミ思った。
以上!

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