2009年3月6日金曜日

一般意思

「一般意思」は正義や平等の精神の裏付けであり、それは「常識」と安易に呼ばれる社会的概念でもある。
人類すべてが持ち合わせているとなるとその根源は本能であるだろう。
ただ、それは理性的な意思でもある。
いや、理性という概念自体も世界的に見て一般で、人種的な差異や地域的な差異があまりない。
むしろ、人類すべてに備わっているとなれば決して非の打ちどころのない脳内の聖域ように思える。

「言葉では伝えられない感覚」は書けば神秘的な印象を受けるが、それは至って日常的な感覚だ。
たとえば“下ネタ”。
下ネタを出す瞬間、それこそデリカシーやモラルと呼ばれる一般意思が働く瞬間だろう。
下ネタはモラルからの脱却ではないのだろう。
むしろ、モラルの延長線上にあるが故の笑いの方法だろう。
それは嘲笑を求める人間に対する侮蔑に似せた賞賛の笑みなのだ。
下ネタ、それは真に厳しく笑いを追求する人間のなせる技だとボクは直観的に考える。
自身を堕落させ嘲笑の対象とさせてでも笑いをとろうとするスタンスに大いに魅かれる。
お笑い芸人に魅かれる原因はそこではなかろうか。
笑いという感情の噴出を起こし、そしてそれは他人の快楽である。
笑いを引き出せる人間には畏敬の念がある。
芸能の在り方の底には畏敬があり、それは操りが困難な情緒に繋がるからである。
その芸能でもっとも現在人気があるのは俳優かお笑い芸人だろう。
彼らの引き出す感情や情緒、それも一般意思の一部だ。
また、彼らに向けられる畏敬も一般意思の一端だ。
感情も理性もそれぞれの7割方は一般意思だろう。
そうでなければ人間が社会を築いていくことは不可能だ。

一般意思もどのような観点から観察するかで変わってくることは今まで何度も触れてきたことだ。
もっともメジャーなものがダーウィニズムだろう。
「我々は先祖が同じなのだから」、「生き残るためだよ」それに尽きるところがダーウィニズムの偉大さであり実践性であるのだろう。
ただ、注意すべきところは根源ではなく現在におけるその価値だ。
一般意思は決定の理由だ。
裁判でそれは常に活かされており、情報化社会と呼ばれ流れの早い時代だからこそ、その価値の証明は常に重要視されている。
技術の進歩による犯罪は数知れない、しかしまた、従来の、いや昔と変わらぬ手口の犯罪もこれから多く残るだろう。
そのときの一般意思は収拾が面倒であり、小さい物語の執着が見えてこない現在において収拾は不可能に思える。
民主主義上の平等主義は大衆の政治体制の理想だ。
しかし、その民主主義を支える経済体制は資本主義ではないか。
それでは格差が生まれて理想の完成を見ないのも無理はない。
社会的一般意思のズレがそこに生じているのだ。

イデオロギー論やパラダイム論は大衆の時代だからこそ見えた観点だ。
それを今回は書いてみたが、その根源を、現在を知る。
その全体への見方のスタンスは社会や人類全体を考える上では欠けることのならない姿勢だ。
これはこれからも考え続けることとなるだろう。

以上!

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