2009年2月25日水曜日

極論

極論とは書いてみればなんとも不遜で、かつ実践性のない雰囲気を覚える。
しかしだ、そこには発展の源があり、荒削りであるからこそ希望を持つことができると考え
る。
無論、極論のみでは世界が遊べるどころかめちゃくちゃであろう。
そのうえ、まだ研磨できるところがあるのだから、きちんと仕上げていくべきであろうことは確か   に頷ける。
まあ、たぶんこの風信雲書も極論が飛び交い、危険地帯であろうと自分でつくりながらわかることがある。

極論が求められるのはイノベーション、創造の瞬間だ。
極論、たとえるならば、それは新しい鉱脈を当てるために使うダイナマイトといったところだ。
そこからは変に整えず、新しいものを新しいものを、と求める姿勢が若者に求められていることを示しているのであろう。
その「新しいもの」とはなにか。
新しさ、それは未来を見てもわからない。
むしろ、後ろ、過去をみつめることで学べることなのだ。
歴史を解剖し、次へジャンプできる。
学習の必要性はそこにある。

第二段落からはダイナマイトの極論と温故知新の学習、この二論は対極しているかに見えて、実は重なり合う関係であることがわかる。
イノベーションとは考古学であるのだ。

以上!

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