2009年2月15日日曜日

雑誌

「雑」という言葉が怪訝される性質があり、というより世間一般でそう思われており、なんとも残念に思う。
ボクは雑という字が好きだ。
雑然、雑草、雑学、どれも正統派ではないかもしれないがどうも親近感があるというか、近寄りやすく安心する。
何せ、ボクは田舎者だからテーブルの上で和食を食べるような雑然としたライフスタイルだ。
庭が広いものだから雑草もよく見かける。
そのうえ、ボクはいわゆる雑学博士でもある。
雑であることは体系がなく整理されていない状態や事物のことに思っているが、ボクはそこにこそ魅かれる。
雑であることはドゥールズがガタリと共に提唱したリゾームの概念そのものだ。
リゾームとはいままでの、つまり20世紀までの体系がたてられた学問の概念の終息を意味する。
インターネットを主とした情報技術やグローバル社会にリゾームの概念が潜んでいることは周知のことであろう。
また、インターネットやグローバル社会での目に見えるシステムの運用だけではなく、感覚としての雑然さもキーであり、それが知覚として繋がり、リゾームの広がりに繋がる。
いま出た「繋がる」という動詞もキーだ。
どんどん繋げていく、しかも意味のあるもの、ないもの、不要に思われるものなど色々繋げる。
そうすると新たな知に至る。
それを書籍としたものが「雑誌」だ。
この語には新聞やフリーペーパーも含める広い定義を持たせる。
この雑誌は一般には毎日、毎週、毎月といった定期的な情報源であるがために安く作られ、またスキャンダラスな芸能記事やゴシップ記事に溢れる政治面を持つものが雑誌として大衆にイメージされ、それが認識されているからか正式な書籍として認められていない
たしかに多くの情報を詰め込んだ安上がりな書物として良い意味でも悪い意味でもみられていることは間違いないだろう。
しかしながら、その詰め込み書物こそ新たな時代の概念を指している。
それは雑誌が「総合」であるからだ。
お菓子特集もあり政治面もあり、グラビアアイドルの写真がある。

それらは独立して、かつ同居しているわけだが、同居しているがために全体像が築きやすく、それが非統一ジャンル分けであるがために時代の構造が見えやすい。
まさにリゾームそのものだ。
そこが雑誌の強みであり、ひとつの集合知の在り方を示している。

以上!

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