ボクはどちらかというと受け入れやすい性格で好き嫌いがなく生きている。
「視点」という好きな言葉がある。
さまざまな視点では異なった価値観が存在する。
視点をずらすと人の価値観なんてものは脆弱なものと化す。
しかし、自らが人生を選択し決定することが人間らしい知性のある生き方だ。
サルトルみたいなことを書いてしまったが、好きとか嫌いとかを自らの中に持つことで自分という枠を持つことができる。
オリジナリティー、アイデンティティは主体的に作っていくものだろう。
川喜多半泥子はキレイダ・キライダをはっきり言い続けた風流人であり、陶芸の大家であり、三重・百五銀行の頭取も勤めた経済人でもある。
彼のように断言することで自分というものを確立できるかもしれない。
それは迷いを捨てることにつながるかもしれない。
ボクは以前、(こう思う人は世間にもいるかもしれない)価値観なんて視点次第という考えはなにか仙人のような、磨かれた知性だと思っていた。
そうなる途中に、プロセスとして、価値観を持つ時代があるのだと。
しかし、いまはそうではないことがわかった。
プロセスではない、それぞれは完成された作品だ。
タイプ、型のようなものでそこにこそ価値観はおけない。
別次元にあるのだ。
だいじなことをまとめたい。
要は、視点を変えてみたり、ワープしたりすることで価値観の相違を量ることとひとつの視点に当てはまって、そこから自分を押し出していくことの両方をうまく利用することが人生において柔軟でいられる方法なのだ。
以上!

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