こどものたべものに対する好き嫌いは食の豊かさとともに日本にやってきた。
それに関して、モラル的に好き嫌いを否定するのはあまりに前時代的だ。
食の豊かさを得るとはこういうことであると貧しい時代は予想できなかったのだ。
「空腹」、それは戦争直後を味わった世代と戦後生まれの世代とではまた違い、平成の世に生まれた世代ならば雲泥の差であろう。
われわれの世の中では、空腹感は飢餓につながることはない。
空腹感がなくとも、時間に合わして飯を食っているだけである。
そんな食が食べることに本意を持たない世代には好き嫌いなどあって当然である。
そんななかでも、ニンジン嫌いのこどもにニンジン嫌いを克服させようとするテレビ番組を見かけるが、大抵、この手の番組の結果はニンジンをニンジンでなくしてこどもに食べさせるものである。
見ていて何をしているのかわからない。
ニンジンからニンジンの風味をなくしたニンジン料理など克服でも何でもない。
世の中に出てニンジンの風味のないニンジン料理を食べることはまずないだろう。
風味は料理の目的にも近い。
ただ、好き嫌いがいけないことだからニンジン嫌いをやめさせようなどというのは浅はかな考えだ。
今の時代、好き嫌いの2つや3つ、何ら人生に障壁とならない。
もちろん、嫌いになる食材にもよろうが、それも障壁とは呼べまい。
好きか嫌いか意見を持つことは大事だ。
自分があることは社会に入る第一歩だ。
好き嫌いがあるということは豊かさの象徴だ。
以上!

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