2008年10月11日土曜日

Rockという在り方

もともと、ロック自体がポップカルチャーの中心になったことが若者文化を語る上で重要になるだろう。
そこには「ロック=若者」という切り離せない関係をつくられた背景である。
ロック誕生は若者音楽や若者ファッションなどの要素を組み合わせポップカルチャーになっていたが、ロックの誕生からはロックを中心にしたポップカルチャーになっていったことがわかる。
ボク自身もポップカルチャーと言われ、まず頭に浮かぶのは「音楽」、すなわちJ-POPである。
ロックがポップカルチャーの中心になれたのはボクの考えるに若者そのものが音楽になったからであろう。
そこには「老い」がない。
常に反体制主義がある。
ニヒリズムに終着するのであろう諸行無常の形式、若さ、精神性、情熱そのものである。
ロックが初めて若者のための音楽となりえたのだ。

そのロックもかなり他分類化されミクスチャーロックのように種類が恐ろしく増えつつあり、また、もとより定義があいまいなため、ロックとは何か掴みにくくある。
しかし、それでも我々は何気ないことでも精神性としてのロックを感じ取ることがある。
それは錯覚や定義づけがあいまいなためではなく、感覚として感じるのだ。
そこにロックの奥深さ、本質があるのではないか。
ロックは音楽、その中の言葉という器に入っている精神性、感覚、パトス、思いなのだ。
それは日本人の仮名文字で表せられる感情に類似している。
「うつくし」、「あはれ」はロックと似た感覚にある。
漢字は字そのものが意味であり本質だ。
しかし、日本語は長らく文字がなかったためか文字は器にすぎない。
それは「うつくし」、「あはれ」のように平仮名で表せられるものは特にである。
純粋な感情が平仮名に込められている。

定義づけがないにもかかわらず感じ取ることができる音楽、ロックは定義づけがないゆえに生き残れ、多様化し続け、若者文化の中心であり続けるであろう。
感覚の音楽だからこそ心に入りやすい。

以上!

0 件のコメント: