2008年10月28日火曜日

真実とともに生きる

もし、セックスで快楽が得られなくなったら人は死ぬのではないか。
たまにこう思ってしまう。
それは童貞の思いこみかもしれない。
しかし、これは真剣な思い込みだ。
至上の事が破られれば、そのあとはどうなる。
始まるから終わるのであり、なにごとにも限界はあるのは当然だ。
では、セックスで快楽が得られなくなる日には、人は新たな境地に立てるのか。
それはステップなのかスットプなのか。
スットプならば、きっと世界の小ささを感じることだろう。
それは絶望である。
幼いころの思い出はどうしてか澄んでおり、齢が経つにつれ、グレーに、文字化していく。
“みえる”ってことはそういうものなのかもしれない。
世間や空気なんて言うみえないものが見えてくる。
感じてくる、実際に在る。
だが、世界が小さく見えるのは実際小さいからではなく、世界は小さいという真実を作り上げている自分がいることに気づかなければならない。
世界の本質を知ることは不可能である。
カントじゃないが、不可知論を認めることはいたって冷静な知性だと思う。
四諦と書いて、仏教では四つの真理を表す。
真理を「諦め」という字で表すことは納得がいき、かつ、けだるさがある。
本質を知るのは不可能、ならば自ら決定していくほかない。

以上!

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