2008年10月25日土曜日

自己決定こそ人生

悪も行き過ぎると正義となる。
相対的な存在の価値なんてものはないとは言い難いが不透明であることは間違いない。
それは一種の悟りだろう。
是非じゃない。
善悪じゃない。
それはただの言葉だ。
道教や禅の世界観に近い。
老いた考えと無視されるかもしれない。
だが、真実はそういうものだ。
その老いた考えとやらも相対的な価値となり、ボクの言い分では無に帰す。
ただ、真実がそれだからといって堅苦しく生きろとは言ってない。
真実は各々が決めることだ。
ボクの言い分だって、強制的に無視することもできる。
人間には確かにそういう瞬間に自由があるように思える。
いろんなタイプの人生、それを送るための方法がある。
人は思考方法では帰納法でいくか、演繹法でいくか選べる。
ただ、選択の際の責任は自己にある。
それも無視することはできるが、誰もがその強力な無視ができるわけではない。
人は全体で見ると弱い。
絶対にくじける者がいる。
それを歴史のなかでは犠牲とよんだが、歴史は人間全体の歴史だ。
個人の生き方とは無縁だ。
真実を決めるのは全体ではなく、自分であり、生きるのも自分次第だ。

以上!

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