思想史において先人の軌跡をたどることはきわめて重要だが、歴史という流れを通して見れば、「なぜ、そのように考えたか」という思考の根本原理が拾える。
細かく見ること、ポイントとして見ることと全体として、流れとして見ることの両方を使うことが正解を導き出せるだろう。
偏見は常に付きまとう。
我々に必要とされるのは、偏見を逸脱することで、そこでは否定、もしくはジャック・デリダの脱構築を意味している。
それはニヒリズムでもあり、偏見を逸脱することもひとつと数えられる。
逸脱という言葉をそういう意味合いもあり選んだ。
偏見の逸脱とはさまざまな見方であり、見方を提供する時代はもう終わった、というかかなりの数の方法、見方、思考がある。
それらを整理することで改めてわかる知識や学問があるのではないか。
また、整理することで先人の哲学を総合するようなカント的な哲学の潮流が生まれるのではないかと考える。
総合といったが、そのような役割はこれほど知識と情報、つまり知が溢れる時代において必要にもかかわらず、その役目を負う存在が少ないことは嘆かわしい。
無論、GOOGLEはネット世界の検索において革新的ではあったが、整理という面では中心にはいない。
一見、情報の整理を目的としているかに見え、粗雑な情報や偽りの情報を貯め込んでいるという面もある。
それがネット世界の問題点ではある。
しかし、それがネットの存在意義でもあることは間違いではない。
どのような者であろうとネットはヴァーチャルで、自由であることが伺える。
それが犯罪と結びつこうしても我々は拘束されない、犯罪チックな世界をどこかに持っていたいのであろう。
情報の宝庫(質を問わず)であることは間違いない。
足りないのは、整理の役割、かつ、総合的であることである。
正しい情報を管理する役割は情報化社会であるが故に必要不可欠。
アレクサンドリア図書館をネットの世界でもメジャーにつくるべきだろう。
学問の専門化することで学問全体を渡り歩くことは不可能と言われる時代になった。
しかし、困難であるとしても情報に莫大な価値が伴う時代に整理することで新たなる知を発掘できるのではないか。
インターネットは情報の海、そこに検索をGOOGLEはじめ様々な検索サイトに、そして、それらの情報を束ね整理し総合化するサイトがあってはじめて我々は正しい情報化社会を迎えられるのではないか。
また、これはヴァーチャルなネット世界に対して書いてきたが、無論、現実世界にも当てはまる。
図書館が情報の溜まり場と化さないように積極的な情報の整理、総合化を主とした活動が行われるようにしてもらいたい。
常に正しい情報に価値がある、その鑑定ははたして今、何が行えるというのか。
以上!

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