大嫌いなものを作るべきだ。
好きなものばかり挙げるやつは自分をほかのモノに依存しようとしている。
ボクは嫌いなものをきちんと持っている。
それを持っているおかげで他人とぶつかりっぱなしだ。
しかし、それは個性があるから。
個性は嫌いなものと好きなものの両方を持っているから生まれる。
好きなものばかり集めて自分を売りに出そうとしても、他人は自慢ばかりに聞こえてつまらない。
嫌いなことは嫌いと言えばいいのだろう。
「嫌い」と言えば、他人との差が出る。
好きも通せば、嫌いが生まれるようだが、「そちらも嫌いでもない。」なんていうあいまいな表現で収めようとするのが、「好き」しか使わない人間だ。
「そんなもんは下らない。」
そう大声で張り上げたい。
他人を否定したい。
現代は日本人らしい日本人の時代、とでも言うか。
仲間内を大切にする、異を排斥する、農耕社会にも通じる「道徳」とまではいかなくとも、その集団には「空気」や「雰囲気」があるのではないだろうか。
そういうものは大事だが、それだけになろうというときには「嫌い」を叫ぶべきだ。
「否定」の大事にはそこにある。
だから、ボクはそれを自らの天職とし、生きようとしている。
忘れていたが、それがボクのなかでの哲学者としての役割と考えていたのだ。
社会全般の常識を疑う存在、懐疑する者の総称だと。
「常識を疑う」というのは「否定」の拡大、そのものだ。
常識を疑えば敵を多くつくってしまう、それでも「否定」を貫く者が偉い。
何も考えずに疎外感を恐れるあまり他人と無根拠にも同調しようとする人間が一番、頼りにならず馬鹿者だろう。
残念ながらも、それがこの世に溢れている。
まあ、それだから、我々が存在していると認知できるのだが。
「孤高」を目指せ、他人などそこには必要ない。
以上!

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